今回取り上げる古典は『論語』です。2000年以上にわたって語り継がれる論語は、今なお私たちの生活の中で原則として生きています。(【現訳版】論語 下村湖人訳[PHP研究所]より)
切るごとく、磋るごとく、琢つごとく、磨くがごとく、たゆみなく、道にはげまん。(詩経)
この原文は詩経に出ている句で、まさに「7つの習慣」でいう「刃を研ぐ」活動そのものを語る言葉です。「切」と「磋」は骨格細工の工程、「琢」と「磨」は玉石細工の工程だそうですが、地道に修練を重ね、精進する必要があるということを説いています。また、「切磋琢磨」という熟語はここからきています。
為すべき事をどしどしかたづけて、損得をあとまわしにする。これが徳を高くする道ではないかね。自分の悪をせめて他人の悪をせめない。これが心に巣喰っている悪をのぞく道ではないかね。一時の腹立ちで自分を忘れ、わざわいを近親にまで及ぼす。これが迷いというものではないかね。
相手との信頼関係を築くには、損得の計算ではなく、行うべきことをきちんと行うこと、そうすることで相手からの信頼を勝ち得、将来的な公的成功へとつながる可能性がでてきます。また、責任は他者ではなく自責の念を常に持ち、自分から変わる「インサイド・アウト」の考えだけが、自分自身の影響の輪を大きくすることができます。
そして、様々な刺激に対して感情的な反応をすることなく、自分の価値観で判断し行動に移すこと、これが自分自身の迷いをなくすことだと解釈することもできます。
自分を自分で律することが何よりも大切であることを教えてくれます。
功をいそいではならない。小利にとらわれてはならない。功をいそぐと手落ちがある。小利にとらわれると大事を成しとげることができない。
ゲーテが言う「大事を小事の犠牲にしてはならない」という言葉に通じるこの孔子の言葉は、ものごとを成し遂げようとするときの原則について語っています。
結果を求めるのではなく、今すべきことに注力する。目先の利益にこだわることなく志を貫く。何かを成し遂げるための原則に変わりはありません。