今回取り上げるココ・シャネル(1883-1971)は、ファッションデザイナーとしてはもとより、ビジネス・ウーマンとして世界で最も有名な人物の1人といっても過言ではないでしょう。彼女は12歳のときに孤児院に捨てられました。また、デザイナーとして活動を始めたときも、その感性はなかなか大衆に受け入れられませんでした。そうした逆境に常に敢然と立ち向かい、栄光を勝ち取ってきたのがココ・シャネルです。彼女を成功へと導いたものとはいったい何だったのでしょうか。
●使命を果たせないことのつらさ
新作発表会開催の日の朝、リッツへ電話したわたし(※訳注:引用文筆者、クロード・クレ)は、「これから何週間かつらいわね」と彼女に言った。「何を言ってるの、クロード」と彼女。「そんなことを言ってはいけないわ。つらいのは、なんにも世に送りださないことよ」
私たちがビジネスを行う上でも、大きなプロジェクトやイベント、節目となる仕事など、業務量が一気に増え、プレッシャーに押しつぶされそうになることは、少なくありません。こういった状況を前向きに捉え、仕事に邁進できる人はそう多くはないものですが、シャネルはまさにそういった人であったようです。
心身統一法で知られる天風会の創始者、中村天風氏が「成功の反対は失敗でなく何もしないことだ」と述べていますが、彼女もまた「そんなことを言ってはいけないわ。つらいのは、なんにも世に送りださないことよ」と語っているように、人生を創造的で能動的なものととらえていたことがわかります。
また、コヴィー博士は『7つの習慣 成功には原則があった!』の中で、「率先力を発揮することは、押しつけがましくなるとか、わがままであるとか、またはしつこくなるとかいうことではない。自分から進んで状況を改善する行動を起こすようにすることである」と語っています。
何か事が起こったとき、自ら状況を改善すべく行動することの大切さ。自分自身が率先してできること、送り出すことができる「何か」について、一度立ち止まって考えてみることは、とても意味のあることなのではないでしょうか。
●孤独と怒りを糧に自らのボイスにたどり着いたシャネル
復讐の衣類、遅すぎた衣類、シャネルはそこに、組み合わせた2つのCを執拗にサインしつづけた。ドレスやスーツばかりか、モスリンにも、薄いヴェールにも、絹のスカーフにも、コロゾのボタンにも、子羊皮のハンドバッグにも、繭紬の裏地にも、ベルトのバックルにも、香水のラベルにも、石鹸にも、2つのCをつけつづけた。だが何をもってしても、彼女の過去に刻印された子捨てという残酷な行為に打ち勝つことはできなかった。
上記は、愛すること、愛されることこそが人生における大原則であることを感じさせる記述でしょう。引用文の著者、クロード・クレは、シャネルが衣服をデザインし続けたのは、孤児院にいたとき着用を義務付けられた制服への復讐だった、と指摘しています。
怒りの感情、強い復讐心といったものは、確かに大きなモチベーションになり得る可能性を秘めています。シャネルも、デザイナーとしてスタートした当初は、そうしたものに衝き動かされていたのかもしれません。しかし彼女は、長い人生の中で自身の使命を発見し、それに忠実に従って創作活動を続け、モードの世界に類まれな功績を残したのです。
コヴィー博士は、ビジョン、才能、情熱そして良心が重なったところにボイス(内なる声)が存在すると指摘しています。シャネルがそうであったように、自身のボイスを発掘し、それを中心に据え、自ら行動を起こすこと。その先に、自分だけが果たせる独自の貢献が存在するのではないでしょうか。
(参考:『ココ・シャネル』、クロード・クレ著、上田美樹訳、株式会社サンリオ)