小松帯刀(1835-1870)は、幕末・明治維新期の薩摩藩士です。大政奉還の立役者であり、坂本龍馬が設立した亀山社中を援助するなど、維新の十傑の一人に数えられる存在です。NHK大河ドラマ『篤姫』に描かれた小松帯刀の姿をご記憶の方も多いことでしょう。
30代半ばにしてこの世を去った小松が、なぜそれほどの功績を残すことができたのか、その人生をひもといていきましょう。
●「生きた学問」を行う
尚五郎(編注:小松帯刀を指す)は霧島の温泉が好きであった。霧島は温泉の宝庫である。(略)近隣の村人はもちろん、遠く鹿児島や大隅半島、都城(みやこのじょう)方面から、湯治に来る客が多い。(略)
百姓は本年の作柄の話やお米の税の取り立ての話をする。女の色恋や、駆け落ちの話に花が咲く。(略)そんな話を湯船のすみで尚五郎は、黙って聞いているのである。(略)
尚五郎は家僕を促して、「もう、上がろうか」と体の汗をふきふき外に出た。(略)尚五郎は家僕に語る。
「ああ、よか湯だったね」
「はい。温泉はやはり薬になり申す」
すると尚五郎は、
「そうだな! しかし温泉はただ保養ばかりではなかよ。湯船の中では、色んな世間話、ためになる話が聞かれもんで、いろいろ教えられることが多か。わしは生きた学問ができると思っとる」
小松は生来、あまり丈夫な体質ではありませんでした。そのため頻繁に湯治へ赴いたといわれています。しかし、彼の目的は体を癒すことだけではありませんでした。湯治場で交わされる庶民たちの他愛のない会話。それは、武士として暮らす中では決して仕入れることのできない、まったくバイアスのかかっていない「情報の宝庫」でした。庶民の生の声を聴くこと。小松はそれこそが「生きた学問」だと考えていたのです。
この発想は、2つの観点から、現代のビジネス・パーソンにとっても学ぶべき点が多いように思われます。
まず1つは、常にアンテナを張り続け、自身の糧としていく姿勢です。ニュートンはリンゴが木から落ちるシーンを見て、万有引力の存在に気がついたとされていますが、目の前で起こることをただ漠然と眺めているだけでは、こうした気づきは得られません。常にアンテナを張っているからこそ、何かを見た瞬間、今まで誰も気づくことのなかったひらめきを得たり、ビジネスチャンスにつながるヒントを得たりすることができるのです。
そして2つ目は、机上の学問だけでなく、現場で何が起こっているかということに対し、常に意識を向けることの大切さです。管理部門が現場を無視して予算や目標設定を行い、戦略を立てるというのは現代でもありがちな話ですが、管理する側が現場で何が起こっているのかを把握しているのとしていないのとでは、発言ひとつ取っても全く重みや説得力が違ってくることでしょう。
「皇国の御為に大政奉還の御英断、誠に感銘の至りと存じます。この上は、一刻も早く朝廷へ御奏上召されるようお願い申し上げます」(略) 慶喜は、「決心した上は、早速、明日にでも奏上の手続きを取りたい」 と言うのを、筆頭老中の板倉勝静が慶喜にかわって、 「明日は朝廷の式日であるから、執奏に差し支えあるかと思う」 と難色を示す。それを聞くと、日ごろ温厚な小松が厳しい大きな声で、 「何を言われる。式日とあっても、このような大事な問題を、ちょっとでも猶予されるは理解出来ない。一刻も早く、二条殿下に執奏方、是非お願い申し上げます」と詰め寄った。
●一歩も退かない
大政奉還の前日、時の将軍、徳川慶喜は数人の武士を集めて意見を聞きました。筆頭は慶喜が将軍となる前から幾度となく面謁し、意見を述べてきた小松です。
小松は単刀直入、上記のように述べました。当時の清国香港が英国に攻め込まれた直後であり、倒幕の機運も高まっていたことから、さまざまな懸念を鑑み、即日の大政奉還を進言したのです。
筆頭老中には苦言を呈されましたが、何としても武力衝突は避けなければならない、その思いから小松は一歩も退きませんでした。あの時代、一介の地方武士が筆頭老中にたてつくとは、なんと恐れ知らずなことでしょう。
しかし、この連載で紹介してきた偉人たちの例を持ち出すまでもなく、ミッションに対する強い気持ちゆえに非常識ともいえる行動を厭わず、それが結果的にブレークスルーにつながったケースは少なくありません。小松においても「何としても無血開城させる」という強い思いが、恐れや常識といったものを跳ね除けさせたのでしょう。
故スティーブン・R・コヴィー博士は、著書『7つの習慣 成功には原則があった!』において、次のように指摘しています。
「私たちは他人から与えられた多くの脚本を頭の中に持って生活している。そのため、自分自身の脚本を書き直す、あるいはパラダイム転換を図るプロセスが必要になる場合がある。自分の持っている非効果的な脚本や不完全なパラダイムに気がつけば、主体的にその脚本を書き直すことができる」
私たちはしばしば「決められたレール」という言葉を口にします。誰もがそのレールから逃れられない、だから自分もそれに従うしかない、そのようなニュアンスで使うことが多いようです。この傾向は、自身の才能、情熱、良心、そして周囲のニーズから、自身が為すべき貢献とは何かということについて、残念ながら、自分の心と頭できちんと考えている人が少ないということを示しているのかもしれません。
個人のみならず組織においても、常にミッションを追求する姿勢を持ち続けることができれば、わが国の生産性や将来性をやみくもに悲観する必要はなくなるのではないでしょうか。
(参考:『幻の宰相 小松帯刀伝』、瀬野冨吉著、原口泉監修、宮帯出版社)