第27回 チャップリンに学ぶ

「喜劇王」として知られるチャールズ・チャップリン(1889−1977)をご紹介します。コメディアンとしてだけでなく、映画監督や脚本家として、その並々ならぬ才能は世界中に広く受け入れられました。主演した映画がアカデミー賞を受賞するなど、数々の栄冠も手にしています。

華々しい活躍の陰には、貧困にあえいだ幼少時代や、人気を得てからの孤独などと、あまり語られることのない出来事があったようです。彼を支えた原理・原則はどのようなものだったのでしょうか。

●喜劇と勉学の相乗効果

五つのとき、母の代役で舞台に立ったことはあったが、舞台というものの魅力を実際に意識したのは、このときがはじめてだった。学校は一変して楽しい場所になった。それまではパッとしない内気な少年だったわたしが、一挙に教師や生徒たちの人気の中心にのしあがったのである。これは学科の成績にまでよい影響を及ぼした。

チャップリンは学校での休み時間、友人相手に喜劇をやってみせました。するとそれをデスクワーク中の先生が聞いており、大爆笑。翌日には全教室を回ってやってみせることとなり、人気者となったそうです。

チャップリンによれば、彼は「パッとしない内気な少年だった」とあります。父親とは別居しており、母親は健康状態が安定せず、頻繁に入院していたようです。経済状態は常に芳しくなく、彼も貧民院に入っていた時期がありました。

引用部において、チャップリンは喜劇と勉学の相乗効果を指摘しています。人気者になることで、他のあらゆる面にプラスの効果をもたらしたようです。

別の場面で「学者になっていたかもしれない」と発言していることからも、これを機に勉強が好きになったことが察せられます。人気者になることと勉学は無関係ではありませんでした。

実はこういった状況を私たちは頻繁に目にしています。私たちの取材の中で出会ったある男性は、ある時期まで仕事一辺倒だったそうです。お子さんが寂しそうにしていると奥さんから聞き、それ以来、家族サービスに精を出すようにしたところ、ビジネスでさらなる成果が得られるようになったのだそうです。

コヴィー博士も「第七の習慣」の中で、人間の4つの側面のうち、ある側面を磨くことで、他の側面にもよい影響を与えると語っているように、特に精神や情緒面で刃を研ぐことは、知性や肉体面にもよい影響をもたらすようです。

●金銭中心の生活

つづいて契約書のサインが行われた。わたしは十五万ドルの小切手を受け取るところを写真にとられた。その晩、わたしはタイムズ・スクエアの群衆にまじって、タイムズ社屋をめぐって回転する電光ニュースを眺めていた。「チャップリン、年額六十七万ドルで、ミューチュアル社と契約」わたしは他人事(ひとごと)のような気持で、その文字を読んだ。あまりにもいろいろのことが起ったので、もう感動もなにもなくなってしまっていたのだ。

これはチャップリンが20代後半のエピソードです。この頃、彼はすでに大きな成功を手にし、幼い彼を大いに悩ませた経済状態も安定していました。

当時の「年額67万ドル」は想像でしかありませんが、とてつもない金額だったことは間違いないでしょう。彼はそれだけの金額を手にしたにもかかわらず、感動も何もなかったとしています。

チャップリンはお金だけに執着していたわけではありませんが、金銭面で苦労した彼が、大金を手に入れても感動がないとは皮肉な結果です。

コヴィー博士は、金銭を生活の中心に置くと、最終的には自滅を招くと語っています。具体的には自身の著書で「資産に影響を与えるものはすべて脅威になる」「すべてに対して神経質になり防衛的にならざるを得ない」と指摘しています。

確かに経済的な安定は、私たちの生活を維持し、よりよいものとするために必要不可欠です。しかし、それを生活の中心とするとどのようになるかは、もうおわかりでしょう。コヴィー博士の説く原則中心の生き方こそが目指すべき道なのです。

(参考:『チャップリン自伝 若き日々』チャールズ・チャップリン著、中野好夫訳、新潮文庫)

(※:『7つの習慣 成功には原則があった!』より引用)

古典に学ぶタイムマネジメント

コヴィー博士の集中講義 原則中心タイム・マネジメント

グレート・キャリア 最高の仕事に出会い、 偉大な貢献をするために

「セルフ・リーダーシップ」で 時代を乗り切る!

ビジネス・パーソンのための ビジネス開発講座|『ヘルピング・クライアンツ・サクシード』に学ぶ、ソリューション開発の原則

ブレークスルー・トーク

アンケート結果に見る 「タイム・マネジメント」

スティーブン・R・コヴィー コラム