アンワル・エル・サダト(1918-1981)は、エジプト・アラブ共和国の大統領を2度にわたって務めた人物です。就任当初は歴史の流れを踏襲して反イスラエル姿勢を鮮明に打ち出し、1973年の第四次中東戦争ではイスラエルに大きな打撃を与えることで国民的な英雄になりました。しかし、その後、姿勢を一転、和平路線を模索します。キャンプ・デービット合意(1978)を経て、翌年に両国間の和平条約を締結、両国に平和をもたらしました。彼が歴史的かつ偉大な選択に至る過程には、どのような背景があったのでしょうか。
●平和への道
どうかこれだけはあなた方に知ってもらい、そしてアメリカ大統領に伝えてもらいたい。(略)私が望むのは、ただ平和だけだ。平和のために協力し合おう。(略)私は改めて、あなた方が平和を目指して努力されるよう訴えたい。私はどんなに長くかかろうとも、平和を達成するつもりです。
これは、第四次中東戦争後、サダトがアメリカ特使に宛てた手紙です。この文面からは平和への並々ならぬ決意がうかがえます。しかし、その戦争を起こしたのは、他ならぬサダト自身でした。いったい、彼の本心はどこにあったのでしょうか。このような文書、そしてその後の行動を見ると、サダトが本当に求めていたものは争いではなく平和だったのであろうと察することができます。
故スティーブン・R・コヴィー博士が提唱する概念の1つに「インサイド・アウト」があります。コヴィー博士は、インサイド・アウトについて、次のように説明しています。
「それは自分自身が変わることであり、自分が変わることによって、自分の外にあるものをプラスの方向に変えていく」(『7つの習慣 成功には原則があった!』より)
サダトは、反イスラエルという当時の常識を疑い、勇気をもって自ら行動を起こしました。まさにインサイド・アウトを実践したわけです。この功績により、サダトは1978年、ノーベル平和賞を受賞します。自身の内側に問題点を見つけ、それを克服すべく果敢に行動に移したことが、世界平和に貢献したという評価を引き出したのでしょう。
●何が正しいかを常に考える
ある日、私は、カイロの町に出て、店でマッチを一箱買った。店先で「ムッチをください」というと、居合わせたお客たちが爆笑した。「ムッチじゃない。マッチといえ」と人びとは言った。(略)なぜ当然のように私をバカにするのか。彼らは金持ちが偉くて、生まれ素性が絶対だと思っている。しかし、村ではそんなことに誰も気を使わない。いかに貧しかろうと、高潔の士があがめられる。村では、名誉と不名誉の分別があり、本当に不名誉なことが忌みきらわれる。村人たちは一体であり、おたがいが友愛と協力と愛情のきずなで固く結ばれていた。しかし、都会の人間は、富や力、ぜいたくな家、つまり、はかなく、まったくつまらない物質のとりこになっている。
私が村でつちかった価値観は、都会には欠けていた。しかしこの価値観は、私の幼少時代の支えだった。
現代においても、見栄や過剰なプライドが正しい判断を妨げているケースは少なくありません。何が正しく、何が大切かを見極め、適切な判断ができるリーダーが世の中にどれくらいいるものか、新聞の政治面を開けばこのような議論が賑やかに展開されています。
しかし、「正しい価値観」とは、いったいどのようなものでしょうか。どんな人であろうと、たとえ犯罪者にだって、それなりの価値観がある、と指摘するコヴィー博士が、一貫して重視していたのが「原則」です。コヴィー博士は著書『第8の習慣 「効果」から「偉大」へ』において、次のように述べています。
「『正しい方向』がどこかを見定め、すべてをその方向に向けることこそ私たちの主要な課題となる。そうしなければ必然的に好ましくない結果を招くことになる。なぜならば、私たちは価値観に基づいて行動するが、その結果を左右するのは価値観ではなく原則だからである」
サダトは当時の都会の人々を「物質のとりこ」と批判しましたが、物質主義への偏向以上に、それこそが正しい価値観だと多くの人が盲信していた事実のほうがより深刻な問題といえるかもしれません。
さまざまな情報があっという間に更新されていくこの時代、自分自身を常にニュートラルな状態においておくこと、正しい判断を下し、素早く実行に移せる状態においておくことは極めて重要な意味を持ちます。
定期的に、自身が有する価値観を確認し、それが正しいものか、原則に則しているかを点検してみる機会を持つようにしてはいかがでしょうか。