今回ご紹介するリチャード・ブランソン(1950-)は、英国ヴァージン・グループの創設者であり、現在も会長を務めている人物です。パブリック・スクールを中退し、新聞の発行や中古レコードの通信販売を行っていたブランソンは、1973年に小さなレコードレーベル「ヴァージン・レコード」を立ち上げ、大きな成功を収めます。その後、さまざまな業種に参入、ヴァージン・グループは全世界で300以上の事業を展開するに至り、その一方でエイズ撲滅や地球温暖化防止など社会貢献活動にも積極的に取り組んでいます。若くして起業を試みたブランソンは、どのような原則を重視しているのでしょうか。
●アイデアを評価する資格は自分自身にのみある
自分のアイデアに対する責任を専門家に投げてしまうことは、簡単だ。簡単すぎる。だが、それはほとんどの場合、失敗する。なぜなら、専門家はその分野だけの専門家だからだ。彼らは示されたアイデアの専門家ではない。自分の考えた最初のアイデアを評価する資格がある唯一の人物は、自分自身以外にない。
ブランソンは自分のアイデアに責任を持ち、自分で磨き上げていくという原則を自身に課していたようです。
ヴァージン・グループが多種多様なビジネスを展開する中で、金融や航空といった、とりわけ高度な専門知識が要求される分野にも参入し、成功を収めてきた理由の一つが、上の引用から窺えます。
「7つの習慣」の提唱者であるスティーブン・R・コヴィー博士は、著書『7つの習慣 最優先事項』(キングベアー出版)の中で、ビジネスに限らず、人生において自分自身がすべての責任を負うことの重要性について、以下のように指摘しています。
「『私の生活がこんなふうなのは、状況や他人のせいだ』という幻想を抱いて生きるのは、ある意味では楽なのだろう。だが現実はそうはいかない。自分の選択には自分で責任を負うのである。そのときは些細で取るに足らない選択に思えるものでも、小川が何本も合流して大河となるように、小さな選択がいくつも積み重なり、やがて大きな力となって、私たちを決定的な運命へ導いていく」
弁護士や会計士といった専門家は、その専門的な見地から他者のアイデアを評価することはできますが、そのアイデアの源泉に存在する熱意を100%汲み取ったうえで、適切なジャッジができるかといえば、その保障はないでしょう。こうしたことは、ビジネスに限らず、すべてのことに当てはまるというのがコヴィー博士の考えです。
今後、ますますビジネスは高度化かつ複雑化し、業務の分業化が進んでいくことは否定できません。それでも、最初の思いつきやアイデアに含まれる熱や可能性こそ、その着想を他と分ける「付加価値」の源であるとするならば、「最後の決め手は自分自身にある」という考え方を、原則として持っておくことは意味のあることではないでしょうか。
●犯罪的な過小評価
人生における答えを捜し求めている若者にとって、いろいろな人にインタビューして回るのに優る方法があるだろうか。立派なジャーナリストになるつもりはなかったが、私が実際に身につけていた能力がひとつある。それは、自分の口を慎んでいられることだ。(略)人の話を聞く能力、そして批判を受け入れストレートな質問をぶつける、といった姿勢は、経営の真髄だ。しかしこのふたつは、犯罪的とも言えるほど過小評価されている。
教養ある家庭に生まれたブランソンが、未来のエリートを育むパブリック・スクールを中退して、最初に始めたのが、『スチューデント』という新聞の発行でした。編集長は彼自身が務め、さまざまな人物にインタビューしていく中で彼が得たもの、それが「人の話を聴く能力」だったのです。
前述のコヴィー博士も上記のブランソンと同様の意見を、著書『第8の習慣 「効果」から「偉大」へ』(キングベアー出版)において述べています。
「人生において最も重要なスキルはコミュニケーションである。私たちは起きている時間の大部分をコミュニケーションに使っている。だがちょっと考えてみてほしい。読み書き、話すことなら学校で何年間も学ぶが、その人のことを深く真に理解するための聴き方について、あなたはどんなトレーニングを受けただろうか?(略)聴き方について正式な訓練を二週間以上受けた人は、多く見ても約5%に満たないだろう」
忍耐強く相手の話を聴き取り、理解する。確かに、そのような授業は世界のビジネス・スクールを見回しても存在しないかもしれません。また、相手を敬い、興味を持つという姿勢は、単なるテクニック上の問題ではなく、どんなときでも変わることのない人間関係の基本といえそうです。
その基本こそが我々に足りていないというのが、ブランソンとコヴィー博士共通の指摘であるとしたら、ここは謙虚になって深く耳を傾ける価値があるのではないでしょうか。
(参考:『ヴァージン流 世界を変える非常識な仕事術』、リチャード・ブランソン著、植山周一郎・宮本喜一訳、エクスナレッジ)