新聞記者を経て官僚となり、多くの大臣職を歴任したのち、第19代 内閣総理大臣に任命されたのが、原敬(1856-1921)です。
積極的な外交政策とともに、選挙における投票資格の引き下げや、交通機関の整備、教育方策の拡充など、日本を平和で豊かな国にすべく奔走しますが、東京駅で右翼青年に襲われ、志半ばにして命を落とします。
上級武士の家柄に生まれながらも自ら平民として生きる道を選び、総理大臣になっても爵位を受けようとしなかったことから、「平民宰相」と呼ばれて国民から親しまれた原敬。謙虚さを貫き、反勢力との間にも卓越した調整力を発揮した彼の核となる部分をひもといてみましょう。
●話し下手の聞き上手
原は随分議論もするが、近頃になって自分で多くを語らず、能く他(ひと)の話を聞くやうになつた。世の中には〈話し上手の聞き下手〉と〈聞き上手の話し下手〉とある。〈話し上手〉は誰にでも出来るが、〈聞き上手〉はむつかしい。原は大分聞き上手になつた。政治家は矢張り原のやうに〈話し下手の聞き上手〉でなければならぬ。
これは、明治維新の立役者の一人であり、第3代および第9代の内閣総理大臣を務めた山縣有朋による原敬評です。政党政治の雄である原と、そうした政治のあり方を嫌う元老の山縣は、政策上では対抗関係にありながらも、互いの影響力を利用し合う間柄でもありました。特に山縣は原という人物を高く評価しており、政治家は原のように人の話に耳を傾けるのが上手でなければならないと述べています。
「7つの習慣」の提唱者であるスティーブン・R・コヴィー博士も、相手の話によく耳を傾け、理解しようと努めることが、コミュニケーションにおいて最も重要であると語っています。ただ「聞く」のではなく、相手に立場に立ち、共感しながら「聴く」ことによって、初めて相手の心を開くことができるというのが、コヴィー博士の主張です。
その著書『第8の習慣 「効果」から「偉大」へ』(キングベアー出版)には、次のような一文があります。
「読み書き、話すことなら学校で何年間も学ぶが、聴くことはどうだろう? 相手の立場に立ち、その人のことを深く真に理解するための聴き方について、あなたはどんな教育やトレーニングを受けただろうか?」
いかに自己の主張を押し通すかに日々腐心している現代人には、耳の痛い言葉かもしれません。しかし、原のように、歴史に名を残した総理大臣ですら、言いたいことを言うよりも、相手の話を聴くことを重視していたとすれば、そこに何か道を拓くヒントがあるはずです。少なくとも「聞き上手」たらんと心がけることは、誰にでも、今すぐにでも、始められることではないでしょうか。
●俯瞰して物事を考える
たとえ一兵卒でも、これを外国に派遣することになれば、これが後日、戦争の大きな端緒となる可能性がある。もし、ドイツがシベリアを根拠地として、わがほうに向かって攻撃をするならば、これを抑圧するために出兵も考えられる。しかし、単にロシアがドイツと単独講和したというだけの理由で出兵して、大戦となったらどうするのか。
これは第一次世界大戦後、1918年のシベリア出兵に際しての原の主張です。今でこそ非暴力の発想は常識ですが、当時は決してそうではありませんでした。
あらゆる方向からさまざまな圧力がかかる中で、時の宰相が多数派とは逆の意見を主張するのは、相当な覚悟が必要です。結果的に日本からの出兵は決行されることになりますが、この出兵消極論はブレーキとして一定の作用があったといわれています。
また、現時点での効能だけでなく、全体的に長い目で見て是非を判断することの必要性を主張している点が、原の優れたリーダーシップを示しているといえるでしょう。
前述のコヴィー博士もまた、リーダーシップを発揮するうえで、全体的に俯瞰する目を持つことの大切さを述べています。
「例えば、ジャングルの中で手斧を持って道を切り開いている作業チームを考えてみよう。(略)作業チームのメンバーは生産者であり、直接に問題を解決する人たちである。(略)では、リーダーとはどういうことをする人だろうか。それは、ジャングルの中で一番高い木に登り、全体を見渡して、下に向かって『このジャングルは違うぞ』と叫ぶ人なのである」(『7つの習慣 成功には原則があった!』〔キングベアー出版〕)。
改革を目指し、易きに流れることをよしとせず、柔軟な視野を持ち、自らの価値観に照らして主体的な判断を行使し続けた原敬に倣い、我々も高い木に登る勇気を持ちたいものです。
(参考:『平民宰相 原敬伝説』、佐高 信 著、角川学芸出版)