イワン・ペトローヴィチ・パヴロフ(1849-1936)は1904年にノーベル生理学賞を受賞したロシアの生理学者です。「パヴロフの犬」という言葉は、「7つの習慣」において受動的な人物を比喩する表現として使われており、知らない人はいないほど有名になりました。後世にその名を残した彼がどのような原則を重視していたかを観察することとします。
●木を見て森を見ず
生理学者が実験中に目にするものは、手術そのものの結果がほとんどだ。動物はひじょうに複雑な機械であり、手術による痛みと外傷は生命現象全体に影響をあたえる。急性実験はそれゆえ、時計をハンマーで叩きこわして歯車とばねの仕組みを見るのに近い。この場合、科学者は動物の各部位―「歯車とばね」の形―について知ることはできる。だが、正常な、機能する動物が実際に呼吸や食物の消化をするとき、こうした部位がどう連携するかはわからない。
今でこそ人間のみならず動物の体をひとつのシステムとして捉え、ひとつの処置を施した際に体全体にどのような影響をあたえるかを考えることは医療としては常識となっているものの、つい最近まで非常識な考え方であったのかもしれません。パヴロフは生理学者の立場から、消化器官を起点に、痛みがさまざまな器官へ与える影響について深く考えました。
我々の所属する組織に関しても、同様のことがいえるかもしれません。つまりひとつの個への影響が、組織全体に影響を与えます。表面に出てくる組織の病状を、ピンポイントの問題ととらえ、処置したばかりに、うまく回っていたところにまで影響を与えてしまい、大きな損失を被ってしまうことは少なくありません。
逆に、組織の中で生まれた小さな息吹が、やがて大きなうねりとなって組織を変えてしまう例も、同様に少なくありません。
故スティーブン・R・コヴィー博士は、さまざまな大転換も一人ひとりの選択から始まると、著書『第8の習慣 「効果」から「偉大」へ』において述べています。
組織文化の大転換、長期にわたり成長、繁栄し、世界に貢献し続けられる偉大な組織を築いた大転換のほとんどは、ひとりの人間の選択で始まっている。それはCEOや会長など正式なポストにあるリーダーの場合もあるが、むしろ専門職やラインマネージャ、アシスタントなど、組織のトップ以外の人間の選択で始まったケースの方が多い。
自分では小さな意思決定と思っていても、組織のみならず社会全体に影響を与えるケースは、AIやIoTの発展によりますます起こりえます。「木」を見ながらも「森」を見る、これはますますシームレスな世の中を生きることとなる我々への命題かもしれません。
●人類への利益を優先する
生きた動物を解剖して破壊すると、心のなかで辛辣な非難の声が聞こえる。その乱暴で不器用な手で、おまえは言葉で言い表せないほど芸術的な機械を破壊しているのだ、と。しかし私は真実のため、人類の利益のためにそれを耐え忍ぶ。
パヴロフの名を冠したもっとも有名な研究成果、それが「パヴロフの犬」であることはなんら異論の無いことでしょう。これは特定の条件付けを行うことで、犬が短絡的に食事を提供されると思い込むことにより唾液を分泌するというものでした。そしてこの仕組みを理解するには、多くの犬が犠牲になったとパヴロフは述べています。そして彼が、世界中の動物愛護団体からバッシングを浴びたのも事実のようです。
彼はなぜそのような社会的ないわば「悪者」扱いを受けながらもこういった実験を継続したのでしょうか。さまざまな動機があれど、ここで述べている考えは真意のひとつと思われます。つまり社会全体にとっての善行を優先し、彼個人への名声を諦めたのです。この結果が後のノーベル賞受賞に繋がりました。
しかし現代、さまざまなプレッシャーや誘惑は多く、全体最適を選択するのは容易なことではありません。我々が陥る倫理的ジレンマは、何も経営者にとってのものだけではありません。前出のコヴィー博士は、「自分をごまかすのをやめればよいだけのこと」と著書『7つの習慣 最優先事項』においてアドバイスしています。
良心に対して、そして自分自身の反応に、耳を傾けることだ。「はい、でも」と口をついて出そうになったら、「はい、だから」と言うことだ。理屈をこねず、弁解せず、実行あるのみ。
ひとつの判断から誰が利益を得るのは誰か、を考えた際、経営者は個人や企業だけでなく、社会全体への善行となる選択を成す必要があります。しかしそれらもすべて突き詰めれば我々個人の判断によるものであることに異論はないでしょう。その意思決定がどのくらいの規模を幸せにするか。パヴロフ自身への名声を棄てることのできた彼は、後世の人たちに多大な遺産を遺すことができました。
『パヴロフ 脳と行動を解き明かす鍵』(ダニエル・P. トーデス著、近藤隆文訳、大月書店)