戦国武将の中でも時代劇や時代小説に取り上げられる機会の多い伊達政宗(1567−1636)は、初代仙台藩主として仙台62万石という広大な領地を治めた人物です。非凡な戦闘技術、人望の高さ、そして文化人・洒落者としての一面などがよく知られ、当時も現代も非常に人気の高いリーダーの一人といえるでしょう。
多くの偉業を成し遂げ、疾風怒濤の人生を駆け抜けた政宗は、どのような原理原則を懐に抱きながら、その類まれなリーダーシップを発揮していったのでしょうか。
●目配りの行き届いた行政
今年は、いまだ町中(城下)に鱈が出回らないとのことだが、一体どうしたことか。伊達や相馬あたりでは売買されている、というではないか。浜中の者(漁師)ども何か心配ごとでもあって、出荷を控えているのか。もう正月も十・十五の半ばである。早く、売り惜しみをせず、安心して商いするよう申し付けよ。
戦国時代といえば今から400年も昔のこと、農業技術の未熟さも手伝って、庶民の生活基盤は非常に不安定であり、悪天候による飢饉に苦しめられることもしばしばでした。困窮した民衆の怒りや不満が、一揆という暴動の形で政府に向けられることも少なくなかったようです。
上の引用は、本来であれば年越しに食べるべき鱈が、正月を明けて1月中旬になっても城下に出回らないという話を聞いた政宗が、漁業関係者へ向けて書いた手紙です。ここに書かれた文章を見れば、仙台藩主という立場にあった政宗が、戦国の動乱のさなかにわが身を置きながらも、市井を平定することの大切さをしっかりと認識していたことがよくわかります。
「7つの習慣」提唱者である故・スティーブン・R・コヴィー博士は、著書『第8の習慣 『効果』から『偉大』へ」(キングベアー出版)の中で、現代の組織でさえも「人がモノのように扱われている」シーンが多数見受けられると指摘しています。そのように扱われた人々は自らリーダーシップを発揮しようとは考えなくなり、その結果、ただ指示通りに動けばいいと思うようになってしまうのです。
「最近の若者は自分で考えることをしない」といった、よく耳にする類の管理職の苦言も、もしかしたら彼らのほうにこそ原因があるのかもしれません。伊達政宗のように、立場や身分を越えて、人々を気遣い、目配りするリーダーシップこそ、今も昔も組織管理職に求められる資質といってよいでしょう。まず、「人をモノのように扱っていないか」を常に自問する習慣を身につけたいものです。
●文化人としての伊達政宗
伊達政宗は武将・政治家であると同時に、豊かな趣味と教養を身につけた文化人でもあった。政宗の幅広い教養と人脈は、幕府や諸大名・公家らを相手に舵取りのむずかしい草創期の仙台藩経営にとって大きな力となった。世の中が動乱から安定へと向かうこの時代、力にたよる政治から交流と付き合いによる政治への転換が必要とされていたからである。
政宗はさまざまな美術品を収集することに始まり、自身も書や茶をたしなみ業績を残すなど、文化人としての側面も広く知られています。
現代でも、さまざまな企業のトップが、趣味として「美術館巡り」や「音楽鑑賞」といった文化的な活動を挙げるケースは少なくありません。
トップとしての意思決定と文化的な活動の間には、なにがしかの関係があるということでしょうか。
前出のコヴィー博士は、著書『子どもたちに「7つの習慣」を』(キングベアー出版)において、興味深い指摘をしています。
「今日の経済を担おうとしているのは右脳派なのである。何かを発明したり、デザインしたり、聞き役にまわったり、大局的視野に立って考えたり、意味を構築したり、パターンを認識したりする人たち、ただ知識を丸暗記したり受け売りで発言したりするのではなく、知識を最大限に活かし、創造的に扱える人たちである」
もしかしたら、伊達政宗も現代のエグゼクティブたちも、自身のナレッジ・ミックスに文化的な要素を取り入れることで、独自のポリシーを構築しているのかもしれません。日頃の刃を研ぐ活動のあり方と、コヴィー博士の指摘する「創造性」の間には、大いなる相関関係がありそうです。
(参考:『素顔の伊達政宗』、佐藤憲一著、洋泉社)