第29回 渋沢栄一に学ぶ

渋沢栄一(1840-1931)といえば、銀行や商工会議所を設立するなど、明治維新における日本の商工界の大発展において、リーダーとして指針を示した実業家として知られています。彼の史跡は全国のさまざまなところに残されており、

今なお、多くの人々に尊敬されてやまない人物といえます。今回はそんな渋沢栄一の行動の原点を探っていきます。

●パラダイムを捨てる

私の心を刺戟したのは、商工業者の地位と官吏もしくは軍人との関係が日本とは全然相違して居ることであった。当時の日本はいわゆる階級制度であって、いやしくもその職に居ればいかなる無識(むしき)な人でも威張って居て、当人も自己の無識愚昧を知らぬ。例えば、諸藩の代官などという人にその領地の農民が会見すると、実に軽蔑される。彼は知識もなく何らの長所も持たぬけれども、ただ役柄上尊大であって農民は奴隷視される。これは田舎のみでなく、私が一橋に奉公した時に、大阪の御用達すなわち同地の富豪に接触して種々交際をして見た時もやはり同様で、官吏や軍人は威張るばかりで、商工業者は面前ただ恐縮の姿を粧(よそお)うのみであった。そういう一般の日本の風習とは、フランスとイギリスなどは全然相違であった。イギリスでは商業家に交際しませぬけれども、まるでその様子が違った。而してこの事はひどく私の心を刺激した。これは大いに学ばなければならぬ、これでなければ真に事業の進歩を為すことは出来ないと思うた。

渋沢栄一が欧州へと視察に訪れた際にまず感じた日本との相違が、上に引用した、階級制度がないという点だったようです。彼は最初から商人だったわけではなく、明治維新以前は武士でした。日本では階級制度において、上層部に属していたということになります。ですから、ここで感じた衝撃は相当なものであったと推測できます。

『7つの習慣 成功には原則があった!』において、スティーブン・R・コヴィー博士はパラダイムという概念を紹介しています。パラダイムとは、いわば色眼鏡のこと。サングラスをかければ、見るもの全体がガラスの色に染まり、視界が暗くなるように、パラダイムというフィルター(ガラスの色)を通して我々は世間を眺めているため、「『どうあるか』は『どう見るか』に直結している」とコヴィー博士は述べています。

世界をあるがままに見るには、パラダイムを捨てなければなりません。サングラスを外せば、観察物の色を正確に確認することができるでしょう。渋沢栄一が実践したのは、まさにそれです。日本では当たり前であった階級制度を訝しく思い、「これでなければ真に事業の進歩を為すことは出来ないと思うた」というわけです。

●流れを変える

東京大阪の商業家とも時々面会して、業務上について種々談話もして見たが、旧来卑屈の風がまだ一掃せぬから、在官の人に対する時にはただ平身低頭して敬礼を尽すのみで、学問もなければ気象(注:気性のこと)もなく、新規の工夫とか、事物の改良とかいうことなどは毛頭思いもよらぬ有様であるから、自分は慨歎の余り、現職を辞して全力を奮って商工業の発達を謀ろうという志望を起したのであります。

欧州視察から帰国した後、渋沢栄一は国の省庁に属したり、自分で商工会議所を立ち上げ、それを運営したりと、さまざまな形で国の発展に寄与しました。省庁で仕事をする中で彼は上記のように感じ、職を辞することとしました。商人としての立場で、旧来のシステムを根本から変えてやろう、そんな意気込みが伝わってくるようです。

これまでの悪しき慣習を打ち破り、次世代のために環境を整えようとする人々を、コヴィー博士は「流れを変える人」と表現しました。

こちらのコーナーでも、第21回にヘンリー・D・ソローを紹介しました。彼の代表的な言葉に「悪の葉っぱに斧を向ける人は1,000人いても、根っこに斧を向ける者は1人しかいない」というものがあります。「根っこに斧を向ける人」とは、まさに流れを変える人に他なりません。この言葉が示すように、流れを変えようとする人はごくわずかなのです。そしてこのように感じた渋沢栄一が、この後みごとに世の中の流れを変えたのはいうまでもありません。

(参考:『雨夜譚 渋沢栄一自伝』、渋沢栄一著、長幸男校注、岩波文庫)

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