ピーター・ドラッカー(1909−2005)は、現代の知の巨人とも称えられる米国の経営学者です。マネジメント研究の第一人者であり、世界で最も著名な経営学者の一人といっていいでしょう。
「7つの習慣」の提唱者である故スティーブン・R・コヴィー博士はもとより、日本の大前研一など、ドッラカーから多大な影響を受けたリーダーたちは枚挙に暇がありません。そのユニークな発想と示唆に満ちた鋭い指摘は、世を去って10年が過ぎた今もなお、私たちに大きな影響を与え続けています。
●責任ある労働者
「私の仕事と私がそれを気に入っている理由」と題した作文コンテストで、従業員が会社や上司、仕事に何を求めているかなどについて聞くのを目的にした。私も審査員に加えられた。
大成功だった。従業員の三分の二以上、人数にして三十万人の応募があった。まさに情報の宝庫。従業員が会社や製品との一体感を求め、責任を持ちたがっていることは明らかだった。「従業員が欲しているのはカネだけ」という通説は的外れだったのだ。
コンテスト自体は失敗だった。三十万人分の作文を読むのは不可能だからだ。
上の引用は、ドラッカーがGM社のコンサルタントであった頃、彼が参加した従業員意識サーベイの様子です。「マネジメント」という概念を発明したのはドラッカーだといわれていますから、人が職業に就くとはどういうことか、組織として結果を出すためには何が重要なのか、といったことについて、当時は現代ほど深く研究されていなかったのかもしれません。逆に、この意識調査があったからこそ、ドラッカーは「企業が従業員になすべき貢献」や「責任ある労働者」(後に「知的労働者」へ発展)について、深く考えるようになったのではないでしょうか。
スティーブン・R・コヴィー博士もまた、「人はモノではない」という考えの持ち主であり、自著の中でこのように語っています。
「モノのように扱われると、人はどんな反応を見せるだろう? リーダーシップを発揮する選択肢などあり得ないと思い始めるはずだ。ほとんどの人は、リーダーシップは特定の地位に付随するものだと思い、その結果、自分がリーダーになることなど想像すらできなくなる」(『第8の習慣 「効果」から「偉大」へ』キングベアー出版)
ドラッカーやコヴィー博士のこういった思想と強力なリーダーシップがなかったら、現代の就労環境はまた異なった様相を呈していたのかもしれません。
●時間は貴重な資産
成果をあげる者は、時間が制約要因であることを知っている。あらゆるプロセスにおいて、成果の限界を規定するものは、もっとも欠乏した資源である。それが時間である。時間は、借りたり、雇ったり、買ったりすることはできない。その供給は硬直的である。需要は大きくとも、供給は増加しない。価格もない。限界効用曲線もない。簡単に消滅する。蓄積もできない。永久に過ぎ去り、決して戻らない。時間は常に不足する。時間は他のもので代替できない。
すでに「タイム・マネジメント」を学んでいる今の私たちから見ても、上に引用したドラッカーの「時間」に対する指摘は痛烈です。
「この週末に片付けよう。きっとすぐに終わるだろう」と考えていたタスクに、手を着けないまま週末が終わり、期限ギリギリのやっつけ仕事になったあげく、目標とするクオリティには仕上がらなかった、というような経験は、おそらく誰にでもあることでしょう。前もって十分な準備を行うことの重要性は理解していても、いざ実践するとなると、なかなかハードルが高いものです。
ドッラカーがいうように、時間は限られた資源であり、他の何物でも代替することは不可能です。コヴィー博士は、そうしたものを管理しようとする行為自体が誤りであり、重要なのは、どのような事項を行うか、自分の行動を管理することであると、述べています。そして、その際に優先すべきは最優先事項であるということを、「7つの習慣」の「第3の習慣:最優先事項を優先する」で詳しく伝えています。
「人生を愛する者よ。時間を浪費してはならない。人生は、時間でできているのだから」
これは、アメリカ合衆国建国の父とも呼ばれるベンジャミン・フランクリンの言葉です。「7つの習慣」の実践ツールでもあるフランクリン・プランナーの最初のページには、必ずこの言葉が示されていることを皆さんはお気づきでしょうか。
日々、忙しく生活する中で、時間の価値について深く考える余裕を持つのは難しいものです。しかし、変わらぬ現状、足踏み状態からのブレイクスルーを目指すのであれば、今一度、時間の価値を再認識し、その使い方を見直してみるのも一案かもしれません。
(参考:『ドラッカー 20世紀を生きて』、ピーター・ドラッカー著、牧野洋訳、日本経済新聞社、『プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』P・F・ドラッカー著、上田惇生編訳、ダイヤモンド社)