エイブラハム・リンカーン(1809-1865)といえば、米国史上初の共和党所属の大統領であり、「奴隷解放の父」としても知られる非常に著名な政治家です。旧態依然の価値観が根強くはびこる当時の米国社会において、さまざまな改革を断行した手腕と業績は目覚ましく、「最も偉大な大統領の一人」と評されることもしばしばです。米国5ドル紙幣には長年にわたり彼の肖像画が使用されており、米国を代表する4人の大統領の巨大胸像(ラシュモア山)にもその姿を残すなど、今なお大きな影響を与え続ける政治家リンカーン。彼はどのような原則によって選択と行動を行っていたのでしょうか。
●決断へのプレッシャー
ある閣議の後、エドワード・ベイツ司法長官はこう書いている。「大統領は懊悩(おうのう)していた。(中略)これ以上はない苦悩に身をよじらせている感じだった。彼自身、いつ何どき首をくくるか分からんと言っていた。そして公然と首都の維持に不安を披瀝していた」
今でこそ大統領の膨大な業務はスタッフや役人とのチームワークで遂行されていますが、当時はほぼ全面にわたり、大統領直々の決断が必要とされていたようです。
大統領に限らず、要職に就くような人物は常に苦もなく並外れた精神力を発揮するものと思われがちですが、生まれもってのリーダー気質で組織をぐいぐいと引っ張っているように見えるエグゼクティブたちも、リンカーンと同じように懊悩し、苦悩に身をよじりながら、一つひとつの決断を導き出しているのかもしれません。
偉人たちはなぜ、そんな凄絶なプレッシャーの中にあえて身を置き、組織を率いていこうとするのでしょう。おそらく、自分が思い描いた世界を実現したいと思う意思、大きく明確なビジョンの存在が、彼らを駆り立てているのではないでしょうか。
「7つの習慣」の提唱者であるスティーブン・R・コヴィー博士は、著書『第八の習慣 「効果」から「偉大」へ』(キングベアー出版)において、次のように述べています。
「自分自身を超えるビジョンを抱き、そのビジョンが自分が情緒的に愛着を抱いている重要な大義やプロジェクトにフォーカスするものであるとき、現実的にもっとも楽な方法は、自己より奉仕を優先させることである」
コヴィー博士はあえて「楽な方法」という表現を用いていますが、リンカーンが上述のような苦悩を抱きながらも、世界を変革すべく行動し続けたのは、自身のビジョンに背くことのほうが彼にとってより苦痛だったからなのかもしれません。
●第3の案を探す
ハムリン副大統領は、9月25日、リンカーンにこう書き送った。「閣下の奴隷解放宣言に心から感謝します。当代の偉大な法令として通用するでありましょう」と。世界中から寄せられた賛辞に、リンカーンは何とこう述懐している。「見栄坊(みえぼう)の私には願ってもないこと」と。
そしてリンカーンは、ついに「奴隷解放宣言」を発表しました。
彼がなぜこの決断を下したのか、それに関してはさまざまな意見があり、その研究を専門としている学者もいるほどです。
ただ、彼があらゆる人々の「可能性」に着目していたことは確かなようです。若い頃から多様なキャリアを積み、さまざまな地位を通し、あらゆる人々と接していく中で、人種や立場の違いで人間の優劣を判断する社会の歪みに気づき、システムの改革を強く志したであろうことは十分に推測できます。
前出のコヴィー博士は、他者との対立時において、闘うでも逃げるでもなく、変容を目指す姿勢を「第3の案を探す」と表現しました。自身最後の著書となった『第3の案 成功者の選択』(キングベアー出版)において、彼は次のように進言しています。
「対立解決の方法を説く人たちのほとんどは、対立を取引のように扱う。パイの配分を問題にするのだ。相手の言い分をのむか、つっぱねるか。パイを相手に譲るか、闘って取るか。(略)
それとは対照的に、第3の案は状況を変える。もっと大きく、もっとおいしい新しいパイをつくりだす。前のパイとは比べものにならないほど飛躍的に大きく、おいしいパイになるだろう」
奴隷を解放するという行為が道徳的に正しいと信じていたとしても、従来の悪しき習慣を断ち切って新たな時代を切り拓くには、とてつもない覚悟とエネルギーが必要とされます。それでもリンカーンは「より大きなパイ、より美味しいパイ」を目指し、ついに決断したわけです。
懊悩の末に下した彼の決断が正しかったかどうか、それは考えるまでもないでしょう。
(参考:『リンカーン : うつ病を糧に偉大さを鍛え上げた大統領』、ジョシュア・ウルフ・シェンク著、越智道雄訳、明石書店)