スコットランドの中心都市であるエディンバラが産んだ世界的に有名な小説家といえば、『シャーロック・ホームズ』で知られる、コナン・ドイル(1859-1930)が真っ先に浮かびます。読者が思いもよらないトリックと、それらに対するホームズの科学的な推理の鋭さは、当時の人々のみならず、現代の我々をも魅了します。医師でありながら小説家でもあったドイルの成功の背景を紹介しましょう。
●独創性の原点
生まれてから十年間は、本を読むのが早かった。私が本を借りだしていた小さな図書館が母に、本の借りかえは一日に二回までだと申しいれたものだ。(略)読むばかりではなく自分で書いてさし絵まで入れたりした。(略)あたりまえのことで冒険談の作者なら誰でも経験しているところだ。
ドイルはとにかく本が好きだったようです。しかも子どもの頃から自分で書いたりもしていたようです。
「習慣が人格をつくる」といわれるように、幼い頃の習慣や嗜好は大人になっても継続し、やがては職業や人生に大きな影響を与えるものです。自伝でも明らかなように、ドイルは幼少期を過ぎてからも多くの本を読んでいました。さまざまな世界、状況を疑似体験することが、彼の独創的な作品の数々に少なからずとも影響をもたらしたことには、疑いようがありません。
「エントロピーの法則」といえば、新たな刺激がなければ、すぐに物質の熱エネルギーが安定してしまうことを指す、我々の世界を取り巻く原則の1つです。我々の思考も同様に、新しい出来事に触れ、感性を養わなければ、凝り固まってしまいます。また、本を読むことは、知性の蓄積だけでなく、精神的にも大きな効果をもたらします。
『7つの習慣 成功には原則があった!』の著者であるスティーブン・R・コヴィー博士も、本を読むことの有用性を挙げています。「定期的に優れた本を読むこと以上に、自分の精神を高め、養う方法はなく、読書は社会に対する理解を深め、自分のパラダイムを拡大する」のだそうです。
●決意の瞬間
子供のように弱く感情的になったが、気はたしかで頭は水晶のように明敏であった。それからわが生涯をふり返ってみるのに、せっかく文学で得た金を、ウインポール街などで眼科医院を開業して浪費するのは愚ではないか。そこでもやい綱を切りはなち、書くことにわが生涯を託そうという考えが浮かび、狂喜してそう決心した。今でも覚えているがそのとき私は、ベッドの上掛のうえにおいてあったハンカチを弱りきった手でつかみ、うれしさのあまり天井へ投げあげたものである。これでついに自主的になれるのだ。もはや職業服に順応する必要もなく、他人のきげんを取ることもないのだ。好きなところで好きなように生活すればよい。これはわが生涯のうちでも大きな歓喜の瞬間であった。
当時のドイルは32歳。勤務医を辞め、眼科医として独立しようと準備をしていたのですが、彼には文学で食べていきたいという願望がありました。しかし、それまでも短編小説を中心にいくつかの作品を世に送り出してきたとはいえ、物書きとして生計を立てられる保証はどこにもありませんでした。
さらに、彼の地元であるエディンバラ大学医学部を修了するにあたって苦労させた両親のことが大いに気がかりだったようです。失敗してはならない、これ以上迷惑はかけられないという重圧がありました。
そんな中、訪れた転機が、ここに示した状況です。インフルエンザに侵され、1週間余りの危篤状態の中で、彼は残された人生を、悔いのないように活用しようと思い立ったのです。まさにこの瞬間に、コヴィー博士が『第8の習慣 「効果」から「偉大」へ』でいうところの「ボイス」を発見し、進むべき道を発見したのです。自らの力で、道を選択したのです。有り余るエネルギーの爆発が見てとれます。ドイルはこの先、作家として大きな成功を収めました。
我々も理想と現実のジレンマに、大いにもがき苦しみます。為したい選択があったとしても、現在の安定を手放すことの困難さは、いうまでもありません。しかし、それでも茨の道を選択し、成功を収める人もいます。
今一度1人ひとりが、自らの内なる声、「ボイス」に耳を傾け、何を為すべきかを再考するのは無駄ではなさそうです。
(引用:『わが思い出と冒険 コナン・ドイル自伝』コナン・ドイル著、延原 謙訳、新潮文庫)