ロックフェラーの名を聞くと、ほとんどの人が世界の石油市場における利益の、実に9割を独占したと言われるジョン・ロックフェラー(1839-1937)を連想することでしょう。今回着目するのは孫のデイヴィッド・ロックフェラー(1915-2017)です。
JPモルガン・チェースといえば言わずと知れた名門銀行ですが、前身であるチェース・マンハッタン・バンク(以下:チェース銀行)の最盛期とも言われる1970年~80年代をCEOとして率いたのがデイヴィッドです。有能な実業家としてだけでなく、有能な調整役として世界を飛び回り、国家間衝突の種火を数多く未然に鎮火したエピソードが回顧録には述べられています。生まれ持った生活基盤の豊かさは想像もつきませんが、根底に抱いていた価値観や原則はどのようなものだったのでしょうか。
●先見の明
社風の革命において中心的な役割を果たしたのが、"企業の社会的責任プログラム"だ。一九七〇年代には、慈善献金を行う企業は少数で、年間収入のうち決められたパーセンテージをどこの慈善事業に寄付するか計画するプログラムを有する企業は少なかった。(略)
企業責任プログラムに積極的に取り組んだ根本的理由は、単純そのもの。ビジネスとは、自分の所属する社会から切り離せないものだからだ。
現代で言うCSR活動が注目を浴びるようになったのは90年代半ばの頃ですが、デイヴィッドは70年代、チェース銀行の頭取時代、社風変革を目的として他社に先駆けて取り組みを始めたようです。語られてはいないものの、現代における常識であっても、当時の非常識であったことから、理解を得るのは容易ではなかったことは想像し難くありません。
現在では、「ビジネスとは自分の所属する社会から切り離せない」というのは、社会通念として常識ですが、当時のパラダイムではそうではありませんでした。
デイヴィッドは、そうした社会通念に引きずられることなく、自分自身の中に確固とした原則を持っていたのでしょう。
スティーブン・R・コヴィー博士は、変わらない中心を持つことの尊さを著書『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』(キングベアー出版)において以下のように述べています。
自分の中に変わらない中心があってこそ、人は変化に耐えられる。変化に対応する能力を高める鍵は、自分は誰なのか、何を目指しているのか、何を大切にしているのかを明確に意識することである。
彼のように巨大組織を率いる場合であれ、数人のプロジェクトチームを率いる場合であれ、自分自身を率いる場合であれ、コヴィー博士の述べる「変わらない中心」は、選択肢が秒単位で増大する現代においても有効なコンセプトかもしれません。
●刃を研ぐ
船乗りならわかるだろうが、船が新しい航路に乗り出すには時間が必要だ。船が大きければ、そのぶん長い時間がかかる。一九七五年の夏、拡大する不動産問題に関してチェース役員と厄介な会議をすませたあと、私はメーン州で休暇を取って、ペギーをはじめとする家族たちとマウントデザート島の海岸でヨットを走らせ、愉快な数日を過ごした。
これもデイヴィッドがチェース銀行の頭取として活躍していた頃、不動産市況後退の影響を受け、建て直しを迫られた頃のシーンです。ここでの論点はヨットを走らせる優雅な休暇ではなく、彼が休み方についても深く意識していた事実です。
前述のコヴィー博士が提唱する「7つの習慣」における第7の習慣は「刃を研ぐ」です。きこりも定期的にノコギリの刃を研ぐことで、常に高いパフォーマンスを生み出していることに由来します。コヴィー博士は刃を研ぐ行為を生活に組み込んだ後、慣れるには時間がかかると述べながらも、このように述べています。
刃を研ぐ、つまり人間の4つの側面(肉体、知性、社会/情緒、精神)を鍛える時間ほど、見返りの大きい投資はない。(略) ノコギリを引くのに忙しくて刃を研げないなどというのは、運転に忙しくてガソリンを入れる暇がないというのと同じで、あり得ないことである。
物事へのアクセスが容易になった分、我々の影響を及ぼすことのできる範囲はますます広がっています。つまり我々はさらに多くの選択と集中を成さなければなりません。コヴィー博士の述べる自身のバランス、そして周囲との役割のバランス。さまざまな関係性を見直し、常にポートフォリオを組み替え続けリバランスを図る。厄介な問題ほど、じっくりと自分自身をリフレッシュさせ、じっくりと取り組む。
どうやら現代の我々を取り巻く原則は、歴史に名を残す活躍をした超大物ビジネスパーソンにおいても同様であると言っても過言では無さそうです。