戦国時代から江戸時代にかけて、上杉家の忠実な家老として知られ、武将としても名高い直江兼続(1560−1619)は、そのマルチプルな才能を多方面で発揮した傑物です。減移封にて赴任した米沢藩の設立に際しては、経営者としての手腕も発揮し、藩の基礎づくりに多大なる貢献を果たしました。戦国武将としては一風変わった存在感を放つ兼続の、知性を駆使した冷静なリーダーシップについて見ていくことにしましょう。
●質素倹約に努める
兼続の衣食住は実に質素倹約で、朝食のおかずは山椒三粒でよし。また中条越前守が蓼漬けと蛮椒を食したのを見とがめて一品にと忠告したり、色部修理に招かれて雁の吸い物が出されたときに、奢り物とて亭主に断って汁を飲まず、その用人を追放したともいわれる。
衣服もすこぶる質素で、着用した最上等の羽織は、裏が細かい継切れを縫い合わせたものだった。
上述の引用にもあるように質素倹約に努めた兼続ですが、社会に有益な事業に関しては多額の資材を投じることを惜しまなかったといいます。正室を愛し、側室を一人も設けなかったことも、当時の成功者としては珍しいことといえるかもしれません。
若くして要職に就き、藩民からの人望も厚かった兼続には、さまざまな方面からの誘惑があったであろうことは想像に難くありません。しかし、必要な支出をきっちりと見極め、私欲にとらわれることなく、藩のために尽くし続けたのが、直江兼続という人物なのです。
「7つの習慣」の提唱者である故スティーブン・R・コヴィー博士は、その著書『7つの習慣 原則リーダーシップ』(キングベアー出版)において、次のように論じています。
「良心を伴わない快楽の代償は高くつく。時間とお金という実際の対価もかなりのものになるだろうし、これまで築き上げてきた信用も地に落ちてしまうだろう。つかの間の快楽と欲望の道具に使われた相手が負った心の傷は深く、その悪影響はいつまでも続くに違いない」
兼続の生きた時代に比べると、誘惑のコンテンツ自体も、そのための方法も、現代は非常にバラエティに富んでいます。数多の誘惑に屈することなく、正しく有意義な人生を送るには、今一度自身のミッションを見極め、主体的に行動を選択することが必要になるといえるでしょう。
●知識を積み重ねる
兼続は武に優れたのみでなく、戦場でもよく書物を読み、学問を愛した好学の士であり、詩人でもあった。学問に対する彼の熱意は、天性に加えて少年時代に謙信の薫陶を得たことも影響している。(略)
文禄元年、朝鮮出兵の準備で景勝に従って九州名護屋に二カ月の滞在中も「済世救法」三百巻を見つけて謄写させ、また渡鮮して戦役中も兵士に無法な掠奪を戒め、兵火や泥土に消滅する漢籍や朝鮮古活本を収集し持ち帰ったという。諸将がそれを見て「田の肥料(こやし)にもなるまいに」と冷笑すると「頭の肥料になり申す」と笑って答えたという。
上の引用からは、兼続の飽くなき知識欲、学ぶことへの情熱が伝わってきます。
「田の肥料にもなるまいに」と冷笑し、兼続に「頭の肥料になり申す」と笑って返された武将の表情を見てみたいものです。
勉強熱心な人が必ずしも成功者になるとは限りませんが、成功者は例外なく勉強熱心です。前出の故コヴィー博士は、成功について次のように述べています。
「成功が偶然に手に入ることはまずない。成功は到達するものであり、それには計画を吟味し、周到に準備することが必要だ」(『7つの習慣 最優先事項』キングベアー出版)
勉強を続け、知識を積み重ねることで、パフォーマンスが向上すれば、周囲からの評価は自然に高まっていきます。つまり、己を磨くことで自身の存在を他と差別化することができるのです。
高齢社会となった今、「生涯教育」への熱意やニーズが高まり、多種多様なジャンルにわたって学ぶためのコンテンツが溢れ返っています。学習機会という点では至れり尽くせりの現代に、もし兼続が迷い込んだなら、おそらく目を丸くして驚き、喜び勇んで某かの勉強を即座に開始することでしょう。
怜悧な兼続は、学ぶこと自体の喜びとともに、成功は偶然手に入るものではなく、日々の精進の積み重ねの上にあることを、よく知っていたのではないでしょうか。
(参考:『直江兼続のすべて』、花ケ前盛明編、新人物往来社)