近代経済学の父とも呼ばれるアダム・スミス(?-1790)は、スコットランド生まれの英国の経済学者です。彼の著した『国富論』は「見えざる手」をはじめとする経済理論がよく知られるところですが、斬新な啓蒙思想書としても当時の経済界や政界に多大なインパクトを与えました。アダム・スミスが、クリエイティブな思考の持ち主であったことは確かですが、その一方で、古代から存在する原則に親しみ、その教えを忠実に守った堅実な暮らしぶりが伝えられています。
●どっぷり読書に親しんだ子ども時代
学校時代のスミスは幸福であり、彼の人生のはじめの時期の友人や知人の中でそれは倍加した。(略)彼の本への情熱は、彼のすぐれた記憶力とともに尊敬されたし、彼の激しやすいけれど親切で寛容な気質は、純粋な行為を喚起した。
アダム・スミスのユニークな発想力をはぐくんだもの、それは少年時代の圧倒的な読書量にあったのかもしれません。古今東西、先人たちの多様な考え方やフレームワークを学ぶにあたって、読書ほどチャレンジしやすく、また有効な手段というのは、未だ存在しないのではないでしょうか。アダム少年は多くの時間を読書に費やし、膨大な知識を咀嚼しながら、その能力を自ら開発し続けていきました。
では、本をたくさん読みさえすれば、誰でもアダム・スミスのような着想や思考を得ることができるのでしょうか。残念ながら、そう簡単なことではなさそうです。
「7つの習慣」の提唱者である故スティーブン・R・コヴィー博士は、著書『7つの習慣 原則中心リーダーシップ』(キングベアー出版)において、「学校の試験なら、コツコツ勉強しなくとも一夜漬けで何とかなるかもしれない。だがそんなことが農場でも通用するだろうか」と述べています。
すなわち、本を読むという行為が単なる詰め込み作業であってはならないこと、そして、一夜漬けやそれに類した対症療法が跋扈している現代の社会環境をやんわりと批判しているわけです。
アダム・スミスも、一夜にして知の巨人となり得たわけではありません。何事にも近道はない、常に努力する先に成果はある、という不変の原則を、彼は幼少期の頃から感じ取り、実践していたのではないでしょうか。
●売上よりも伝播を優先する
『国富論』は一七七六年三月五日から七日にかけて『ロンドン・クロニクル』紙上に広告され、三月九日に、薄青色のもしくは大理石模様のある板紙で製本された一〇〇〇ページを超える四つ折判二巻本として出版された。(略)価格は一ポンド一六シリングというひじょうに手ごろな値段で、スミスはコピーマニー、すなわち書籍販売人の支払う著作権料として、三〇〇ポンドを受け取った。
引用部にもあるように、『国富論』の1ポンド16シリングという値段は、当時の英国でも非常にリーズナブルなものでした。
この価格設定に関してはさまざまな見方ができますが、売上よりも普及・伝播を優先したがゆえの選択という仮説が成り立つのではないでしょうか。いずれにせよ、アダム・スミスの『国富論』は空前のベストセラーとなり、今なお世界中で読み継がれています。現代風にいえば、適切なマーケティングが奏功したということになるのかもしれません。
このとき、スミスは50代、論理学や道徳哲学の教授職をすでに辞しており、さほど豊かな生活を送っていたとはいえません。それなのに、本の売上よりも世の中への伝播を優先したのだとすれば、そこに書かれた考えを少しでも多くの人に伝える必要を痛感していたためでしょう。
これこそ、「内なる声」、ボイスそのものです。ボイスとは、自らが為すべきこと、世の中に果たすべき貢献への思いが、自分を駆り立てる叫びとなって心の奥底から聞こえてくるというものです。スミスにもこのボイスが聞こえていたに違いありません。
現在に目を向けてみると、度重なる増税や物価の上昇など、我々を取り巻く経済環境は厳しくなるばかり。コヴィー博士は、前述の『7つの習慣 原則中心リーダーシップ』において、ボイスこそが、現代の労働環境を改善するキーワードであると指摘しています。
「人々は意味を知りたいのだ。『なぜ?』これがキーワードだ」
経済的な安定や目先のメリットに気持ちが行きがちな状況にあるからこそ、いったん立ち止まって、「なぜ?」と考える勇気が必要になるのではないでしょうか。個人だけでなく、組織にもまた、そのようなベクトルを従業員に指し示すリーダーシップが求められるところです。
(参考:『アダム・スミス伝』、I.S.ロス著、篠原 久・只腰親和・松原慶子訳、シュプリンガー・フェアラーク東京)