ウィリアム・A・オールコット(1798-1859)は医者として医療技術の発展に貢献したのはもちろん、教育家としての才能を活かして医学教育を大きく改革しました。今回参考にした彼の著書は、当時の若者に向けて、彼らを奮い立たせることを目指し作成されたものです。それを100年余のときを経て竹内均氏が翻訳したというわけですが、現代の若者、いやすべてのビジネス・パーソンにも通用する一冊です。原則は今も昔も不変なのでしょう。
「時は金なり」を正しく生かしているか
誰でも一時間は六十分だということは知っている。しかし、六十分が一時間をつくっているという真の意味を知っている人はどれほどいるだろうか。知らないからこそ、二、三分あるいは五分という短い時間ならためらいもせずに、惜し気なく無駄遣いする人が多いのである。そんな短い時間も、十五回なり二十回なり重なれば全部で一時間になるとは、考えもしないのだ。
「小銭を大切にすれば、大金はむこうから寄って来る」のと同様に「一分を大切にすれば、一時間はおのずから充実したものになる」といえる。(略)
他人を幸福にするために善行をする方法は、いつでもいくらでもころがっている。「金もうけにならないから、そんなことには時間をさけないし、さくつもりもない」というような人は守銭奴と同じあわれな人である。
私たちの仕事は時間の積み重ねで成り立っているとわかっていても、「今は少し休憩」「少しぐらいはいいか」と考え、いざ仕事に向かおうと思ったら、上司から呼び出され、些細な仕事をたくさん引き受けてしまう。
その仕事が終わると、今度は愚痴も言いたくなり、また少しの時間ぐらいと思いながら同僚と無駄話をしてしまう・・・
このような経験をしたことがある人は少なくないでしょう。今あるこのわずかな時間を大切にすること、それ以外に時間を大切にする方法はなさそうです。少しずつの時間の積み重ねが、一日を構成し、日々は一生を構成します。今一度、時間の価値を再考する必要がありそうです。
また、オールコットは奉仕活動に時間を割くことの有用性も述べています。それらの価値を理解しない人を「守銭奴」とばっさりです。『7つの習慣 成功には原則があった!』『第8の習慣「効果」から「偉大」へ』(キングベアー出版)においても、コヴィー博士は奉仕活動を再新再生のための活動の1つとして、非常に重視しています。
人生最高の「財産」は自分の内に築かれている
容姿の美しさで自分のねうちを決める人も多い。美貌やスタイルのよさといった外面的なことを崇拝するのは女性だけではない。容姿の美しさだけで自分を評価するのはやめることである。
大多数の青年は、今でも社会的地位や身内で自分のねうちが決まると思っている。たいへん民主的な社会でさえ、本質的には美徳でも何でもないものが最も重要視されるというのは奇妙なことである。
人間の価値を決めるのは心である。役職や肩書きが自分の価値を決めるのだと考えるのは、非常にあわれむべき思いちがいである。
容姿や社会的な地位で人間(自分も含む)の価値を判断してしまうのも、若者に限らず、すべての人にいえることでしょう。
コヴィー博士の長男、スティーブン・M・R・コヴィーによる『スピード・オブ・トラスト』には「ウエイター・ルール」というものが紹介されています。これは、その人の人格的な成熟度は、レストランでウエイターに接する態度で明白になるというものです。あなたの周りにも、仕事帰りに居酒屋へ行って、店員を蔑んで扱う人はいないでしょうか。ポジションで人を判断してしまう典型的な例でしょう。
またコヴィー博士の有名な言葉があります。
「リーダーシップとはポジションではない。選択である」
(参考:『知的人生案内』、ウィリアム・A・オールコット著、竹内均訳、三笠書房)