フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト(1796-1866)はドイツの医師、博物学者です。江戸時代末期の日本史に登場する西洋人として、最も有名な人物の一人といっても過言ではないでしょう。
シーボルトは20代後半に来日し、長崎の出島でオランダ商館付きの医師を務めます。出島外に鳴滝塾を開設して西洋の最新医学(蘭学)を日本に伝え、日本の医学レベルを格段に向上させることに寄与しました。その一方、日本の自然や文化を探索・研究して世界に紹介するなど、後に日本学の祖としても多くの功績を残しました。
シーボルトが日本に対して抱いた情熱と行動の過程を追いながら、彼の価値観の源泉に迫ってみることにしましょう。
●入国前の日本への印象
今や、ヨーロッパから最も遠い異国に向かおうとしている。ただし、その国は、自らが賢明とする政策に閉ざされ、われらが居住の自由はなく、またその国家とも住人とも自由に交流することが叶わないのは遺憾である。しかし、博物学者や航海家の歴史を見れば、熱情と忍耐の例類は事欠かない。私も彼らの勇気を顧みて、自らを鼓舞し、苦労をいとわず、生死に躊躇せず、学問の達成を目指しその地に挺身してひるむことはない。
これは日本に向けてシーボルトが出発する際の手記です。日本に対する不安のようなものが見て取れますが、現代のようにインターネットが存在しない時代、ましてや文化のまるで異なる鎖国中の国に向かうわけですから、無事に入国し、健全な生活を送ることができるかどうか、ナーバスになるのは当然のことでしょう。
それでも彼は、日本に惹かれ、敬意を払い、あらゆるものを吸収しようとする向上心を持ち続けました。一般的な社会の風潮や思い込みではなく、日本をあるがままに理解しようと努めたのです。
「7つの習慣」を提唱したスティーブン・R・コヴィー博士は、自身の著書『7つの習慣 成功には原則があった!』(キングベアー出版)において、次のように語っています。
「自分は物事をあるがままに見ている、自分は客観的な人間だ、と誰しも思うものである。しかし実際はそうではない。私たちは世界をあるがままに見ているのではなく、自分なりに見ているのである。条件付けられた自分の目を通して見ているのだ」
我々は自分自身のパラダイムを疑うことを滅多にしません。むしろパラダイムを持っていることすら忘れていることのほうが多いでしょう。
一度、先入観や思い込みによる「当たり前」を取り払ってみると、ビジネスのみならず、生活そのものを一変させるチャンスに近づけるかもしれません。
●帰国後の日本への印象
日本は自然が美しく文化も非常に魅力的な国です。それに人間もすばらしい。現在は鎖国状態にあるため、皆さんが考えるように、非常に異質な部分はある。特に政治体制の現状はそうです。しかし大事なのは異質をよく知ることです。異質を知らなければ同質の意味づけはできない。それであなたの質問ですが、私は、日本政府の許可が降りれば、必ずもう一度日本に行こうと考えています。日本が、美しい国だということを覚えておいて下さい。
上記のコメントは、シーボルト事件(禁制の日本地図の写しを国外に持ち出そうとした疑い)によって、国外追放となり祖国に帰ったシーボルトが、ドイツの母校で講演会を開いた際の質疑応答だといわれています。
学生から「もう二度と日本へは行きたくないのではないですか」と問われた彼は、不本意な形で追放された日本に対し、変わらぬ敬意と愛情を示しました。さらに、「異質を知ることによって初めて同質を知ることができる」という興味深いアドバイスを学生に送っています。
ここで、「7つの習慣」の「第6の習慣 相乗効果を発揮する」を思い出してください。この中でコヴィー博士は多様性を尊重することが相乗効果の出発点だと語っています。
「ふたりの人間が同じ意見だったら、どちらかひとりは不要になってしまう。(略)違う意見を持っている人とこそ話したいのだ。その違いを尊重することで、自覚を高め、相手を認めることにもなる。(略)こうして相乗効果を発揮する環境を創出していくこととなる」
好奇心を胸に、閉ざされた異国の地を訪れたシーボルトには、相乗効果を尊重する価値観が根づいていました。それがどれほど有益で効果性の高い武器となったか、彼自身の学びの深さや活躍を見れば明らかでしょう。シーボルトは日本を追放されて約30年後、オランダの貿易会社顧問として再来日を果たし、滞在中に対外交渉のための幕府顧問を務めています。
さまざまな歴史を紐解き、多様性の尊重によるシナジーがもたらした成功例を見つめ直すことは、日ごろ見失いがちな原則を再認識するうえで、有用な行為といえるかもしれません。
(参考:『歳月 シーボルトの生涯』、今村明生著、新人物往来社)