ヘレン・ケラー(1880〜1968)の名を耳にしたことのない人は皆無なのではないでしょうか。1歳で熱病を患い、聴覚と視覚を失いながらも、アン・サリバンを先生から教育を受け始めるやいなや、数々の才能を開花させました。そして世界各国において講演活動を展開し、人々が平等であることを説いて回りました。日本においても3度の来日を通して、身体障害者福祉法の制定に大きな影響を与えました。
今回、参考にするのは彼女の自伝です。世界的に大活躍した彼女も、根底にあるのは原理・原則であることがわかります。
ラドクリフの入学初日のことを覚えている。興味深いことばかりの一日だった。この日を何年も待ち焦がれたのだ。私の中には抑えがたい「力」がある。友人たちの説得にも負けず、私の心の願いすら聞こうとしない。その「力」が、目が見え耳が聞こえる健常者と競って、力を試そうと私を駆り立てたのだ。行く先々でさまざまな障害があることは分かっていた。それでもその障害に打ち勝ちたかった。
ヘレン・ケラーは三重の障害を持ちながら、世界で初めて大学教育を修了した人物としても知れられています。また、引用文に登場する「ラドクリフ」とは、「ハーバード大学ラドクリフ・カレッジ」のことであり、女子学生のために設立されたハーバード大学のカレッジで、女性の教育機関の最高峰といえます。さまざまなハンディ・キャップに打ち勝って、学力を向上させ続けた彼女。何が彼女を掻き立てたのでしょう。
いくつもの要因が彼女を突き動かしたことは疑いありませんが、この引用文からわかるように、ビジョン、言い換えれば、「なりたい自分」に対する意識を強く持っていたことが、その1つであるといえそうです。
「7つの習慣」の提唱者であるスティーブン・R・コヴィー博士は著書『偉大なる選択 偉大な貢献は、日常にある小さな選択から始まった』において、ビジョンを持つこと、そしてそれがどのようなエネルギーを湧き上がらせるものなのかを説明しています。それによれば、ディズニーの創設者であるウォルト・ディズニーも、すべてはビジョンから始まったそうです。
ビジョンがヘレン・ケラーの原動力となっていたと知ると、ビジョンを常に、より明確にすることの必要性を再認識させられます。
結局、真の知識を手に入れたい人は誰でも、険しい山をひとりで登らなければならないからだ。頂上へは楽な道などない。それなら私は自分なりにジグザグに登ればいい。何度も足を滑らしては後退し、ころび、立ち止まる。隠れていた障害物にぶつかって、怒りに我を忘れることもある。それでも気を取り直し、意気高らかに進むのだ。足取りが重くなっても、少しずつ前へ進めば、元気がわいてくる。そしてさらにやる気が出て、ずんずん上まで登っていける。ついに広がる地平線が見えはじめた。苦しんだ一歩一歩が勝利なのだ。もうひと踏ん張りすれば、輝く雲に、青空の深みに、そして夢見ていた頂上に到達できる・・・
さまざまな解釈が考えられるでしょう。ヘレン・ケラーは「真の知識」とここでは述べていますが、彼女が本書を執筆した当時は22歳の大学生だったことを考えれば、「真の知識」は、我々でいう「真の成功」と言い換えることができるでしょう。
「真の成功」のためには、並々ならぬ努力が必要というのは、コヴィー博士の持論です。彼は「成功」について書かれた書籍・論文をアメリカ合衆国建国の1778年から200年分、洗いざらい調べ、1つの傾向を発見したそうです。建国から150年間は、いくつかの原理原則を自分自身の人格に深く内面化させようとする努力の物語であったのに対し、最近50年間はその場しのぎの、薄っぺらなテクニックにフォーカスしたものであったそうです。
それらは自己PRや姿、話し方の方法などをレクチュアするものです。今すぐにでも始められ、それが成功につながるという説明をしています。確かに現代では、書店に行けばこういった書籍が、人生における成功を掴むための書籍として書棚を占拠しています。
ヘレン・ケラーは「頂上への楽な道はない」といっていますが、これは勉強のみならず人生すべてにいえることでしょう。ヘレン・ケラーが努力の大切さを叫び、「苦しんだ一歩一歩が勝利なのだ」とまで述べています。効率性を追求することが善しとされる傾向のある現代において、努力の正当性を正面から肯定した彼女の言葉の重みを今一度、考えてみたいものです。
(参考:『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』ヘレン・ケラー著・小倉慶郎訳、新潮文庫)