ミハイル・ゴルバチョフ(1931-)は、ソビエト連邦(ソ連)の最後の共産党中央委員会書記長であり、初代にして最後の大統領です。ペレストロイカ(改革)、グラフノスチ(情報公開)をはじめ、合理化・民主化政策を推し進め、東西冷戦の終結に貢献するなど、世界中に大きな影響力を発揮しました。
平和探究を自らのミッションと定め、当時の米ソ関係を考えれば、まさに革新的としかいいようのない行動をとり続けた結果、彼の名は後世まで語り継がれることになりました。それまで誰にもできなかったことを、なぜ、ゴルバチョフは実行できたのでしょうか? その思考と主張の源泉に近づいてみましょう。
●平和への想い
両首脳は午後一時四十五分、ホワイトハウスのイーストルームに現れ、今回のサミットを飾る儀式、ヨーロッパや他の地域から、すべての中距離核兵器を廃絶するINF条約調印式に臨んだ。六年間にわたる交渉の産物であるこの条約は、ソ連千七百五十二基、アメリカ八百五十九基のミサイル廃棄をうたい、厳格な現地視察方式を確立した。(略)
「この歴史的な合意は、それ自体が最終目標ではなく、他の問題、緊急を要する問題に取り組み、実務的関係の始まりになることを切に希望する」とレーガンは述べた。ゴルバチョフは、「条約調印の日が高まる核戦争の危険に満ちた時代と、人間社会の非軍事化の時代を分ける分水嶺になることを期待する」と語った。(略)調印式に感激したアメリカ政府高官の何人かが涙を拭っていた。
彼の功績の中でも最も評価されているのが、東西冷戦の終結、中距離核兵器の廃棄といった、平和への探求活動です。
これらが当時、どれほど画期的な発想であり、また実現困難な案件であったかは、1990年、彼に与えられたノーベル平和賞を持ち出すまでもないことでしょう。
幼少期にスターリンの大粛清やナチスの占領などを経験したことから、ゴルバチョフの平和への想いには並々ならぬものがあったようです。
平和という原則は、コヴィー博士の遺作である『第3の案』(キングベアー出版)のメインテーマの1つといえます。国、コミュニティ、組織、部署間などの対立において、最高のソリューションとなるもの、妥協でなく、両者が満足するアイデア。それが第3の案です。
Lose-LoseではなくWin-Winの発想、それは平和という原則に基づいているとコヴィー博士は主張しています。それは特定の状況や時代に限ったものではなく、どんなときも、どんな場所でも、運用されるべき原則であることは疑いようがありません。
●原則に基づいたミッションがもたらす揺るぎない方向性
今日の世界情勢はきわめて複雑で、非常に緊張している。(略)あえて爆発寸前と言いたい。(略)時間がきている。もう遅すぎるかもしれない。汽車は出ていってしまったかもしれない。この流れを押しとどめる政治意思と政治の知恵を奮い起こし、軍備廃絶のプロセスを、そして米ソ関係を改善し元気づけるプロセスを、われわれは始めなければならない。(略)考えてみてください。これら国内計画の実現を可能にする対外的条件はなんだろうか。その答えはあなた方に任せます。
上記は、ゴルバチョフが自らのペレストロイカについて『タイム』誌に語ったものですが、尋常ではない焦燥感が窺われます。
当時、国内での求心力をすっかり失っていたゴルバチョフは、多くの反対勢力の存在を承知の上で、このような極端な方針転換を発表したものの、その後に起きた1991年夏のクーデターにより失脚。その結果、ソ連共産党による一党独裁体制とソ連邦そのものの崩壊という世界を揺るがす事態を招きました。
眼前の国内状況や経済対策を重視し、当たり障りのない政策を展開すれば、もう少し安定した政治生活を送れたかもしれませんが、彼はそれをよしとしなかったのです。
自分を信じ、国民を信じ、世界を信じ、臆することなく正しいと思うことを発信する。その先にあるビジョンこそが彼の原動力であったということでしょう。
このコーナーで紹介する偉人の多くに共通する点でもありますが、自身のミッションがもたらす絶対的な方向性への卓越した推進力には頭が下がります。
コヴィー博士は、『7つの習慣 成功には原則があった!』(キングベアー出版)の中で、個人の「ミッション・ステートメント」を「個人の憲法」と呼びました。
「揺るぎない方向性が与えられる。それは個人の憲法となり、人生の重要な決断を行う基礎となる」
高度なビジネスモデルが跋扈し、あの手この手で効率化が進められようとも、原則に基づいたミッションがもたらす揺るぎない方向性はいつの時代も不変であり、パワフルであることが、ゴルバチョフという希代の政治家の生き方からも再認識できるのではないしょうか。
(参考:『詳伝 コルバチョフ 鉄の歯の改革者』、タイム誌著、読売新聞社外報部訳、読売新聞社)