古典に学ぶタイム・マネジメント  第12回 土光敏夫に学ぶ

今月は土光敏夫(どこう・としお)氏の言葉を紹介します。彼は東京石川島造船所に入社後、取締役まで登りつめ、石川島重工業の社長に就任。経営において究極の合理化を果たしたことから「ミスター合理化」と呼ばれました。その後も東芝の社長・会長、経団連をはじめ各種審議機関の要職を歴任し、91歳でこの世を去る直前まで現役であり続けました。

彼の生き方はまさに原理原則に基づいたものでした。奇をてらうことなく、着実に成果を出し続け、派手なことを嫌いました。ここでは紹介できないくらい数多くの格言を残していますが、いくつか選んで紹介します。

■一日一日にけじめをつける

一日一日にけじめをつけていこう。きょうのことは、きょうやってしまおう。これは、忙しいとか暇があるとかの時間の問題ではない。志の問題である。

「あしたにしよう」という弱い心に、自ら鞭を打て。あしたという日には、またあしたやるべきことが待っている。

誰もがあるはずです、「今日はもう疲れた、明日にしよう」と考えたことは。しかしそれではいけないと土光氏はいっています。また、時間の問題ではなく志の問題であるという箇所は時間管理の本質かもしれません。
ここでいう「きょうのこと」とは、「今日行うと決めた重要なこと」であることは間違いなさそうです。

フランクリン・プランナーではデイリーページのタスク記入欄に、今抱えているタスクを書き出します。それらをA(今日必ず遂行すべきもの)、B(できれば遂行したいもの)、C(先延ばしにしてもいいもの)に分類し、Aは必ず、Bをできる限り、Cを可能ならば、といった目安で手をつけていきます。

おそらく土光氏のいう「きょうのこと」はAに分類されるタスクでしょう。志を強く持つ、必ず行うと決意する必要があるタスクのことです。

■仕事に責任を持つ

若いころのぼくは、ガチガチの男ではなかったよ。(略)仕事に関しても、それほど気張ってやったとは思わない。ただ、自分の専門に関しては、人から指一本でもさされぬように、肝に銘じてやってきた。
社長だろうが会長だろうが、自分の社の納めた機械について、たとえ休日でもクレームがあればとんでいくぐらいの勇気をもつべきだ。ぼくはそれをつねに実行してきた。  

この言葉はさまざまな解釈ができそうですが、1つには、「仕事に関して責任と自覚を持て」という意味ではないでしょうか。
さらに「自分の専門においては」とあるように、自分自身が最も力を発揮できる場所を定め、その領域においてはどんなことがあっても責任を持つ覚悟が必要だと語っています。
「7つの習慣」の中でいう、「第一の習慣」は、自分の行動に責任を持つという習慣でもあります。何かを実現しようとするならば、まずこうした意識を持つことが重要なようです。

最後に、ビジネスにおいて主体性を発揮することで得られる、究極の領域について触れていますので、紹介しましょう。

■仕事の報酬は仕事である

賃金は不満を減らすことはできても満足を増やすことはできない。満足を増やすことのできるのは仕事そのものだといわねばならぬ。
どんな仕事であろうと、それが自発的主体的に行動できるような仕事になってくれば、人々はそこから働きがいを感ずるようになるのだ。仕事の種類や程度よりも、仕事のやり方が問題にされねばならぬ。

「フルコミッション」という言葉があるように、我々はとかく給料を仕事の成果の尺度にしがちです。しかしこのような考えでは、土光氏の考えに基づけば、永遠に満足することができないということになります。これはアメリカの心理学者、ハーズバーグが語る動機理論にもあるように、賃金は高いモチベーションへと導くものにはなり得ない、ということでしょう。
土光氏は技術屋として入社したにもかかわらず、国を率いるリーダーとして活躍するに至りました。彼の足跡は、原理原則に従い成果を出すことで大きな貢献を成し遂げることができる、という勇気を私たちに与えてくれると思います。
先の見えない景気の低迷が続く今、「ミスター合理化」に見習うべきとところは少なくありません。

(引用元:『土光敏夫 信念の言葉』、PHP研究所編)

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