松下幸之助(1894 – 1984)といえば、「経営の神様」と称された、日本を代表する経営者の1人です。小学校中退ながらも天才的な経営術で、現在パナソニックとなった松下電器産業社を1代で築き上げた氏は、出版社であるPHP研究所を遺すなど、スキルだけではなくマインドの部分も大いに重要視した経営者といえます。
彼の残した言葉には、「7つの習慣」と重なる部分が数多くあります。いつの時代も原則は不変であることをご確認ください。彼の人生哲学と経営哲学からそれぞれ1点ずつ紹介しましょう。
■生と死
人生とは、一日一日が、いわば死への旅路であると言えよう。生あるものがいつかは死に至るというのが自然の理法であるかぎり、ものみなすべて、この旅路に変更はない。
ただ人間だけは、これが自然の理法であることを知って、この旅路に対処することができる。いつ死に至るか分からないにしても、生命のある間に、これだけのことをやっておきたいなどといろいろに思いをめぐらすのである。これは別に老人だけにかぎらない。青春に胸をふくらます若人が、来るべき人生に備えていろいろと計画するのも、これもまた死への準備にほかならないと言える。生と死とは表裏一体。だから、生の準備はすなわち死の準備である。
(略)
おたがいに、生あるものに与えられたこのきびしい宿命を重視し、これに対処する道を厳粛に、しかも楽しみつつ考えたいものである。
人生が「死への旅路」とは、一見なんともネガティブな考え方に見えるかもしれません。しかし彼は、死はすべての人に訪れるもので、「自然の理法」であると語ります。「自然の理法」とは「7つの習慣」でいうところの「原則」とほぼ同じ意味と捉えてよいでしょう。私たちがどうしたところで抗うことのできない自然の摂理なのです。
ではその死に対して何ができるかというと、死への準備であるといいます。死はいつやってくるかわからない、しかし準備はできるということです。そしてそれは「生への準備」つまり、人生のうちで何をしようか、何を達成しようかという人生計画に他ならないと説きます。
時間管理の第一人者であり、『TQ 心の安らぎを発見する時間管理の探究』の著者であるハイラム・スミスは人生を全うするためのツールとして「フランクリン・プランナー」を開発しました。究極の時間管理ツールともいえるこのシステム手帳、表紙には「アメリカの父」と呼ばれたベンジャミン・フランクリンの言葉が記載されています。
人生を愛する者よ。時間を浪費してはならない。人生は、時間でできているのだから。
■プロの自覚
プロとは、その道をわが職業としている専門家のことである。職業専門家とは、つまりその道において、一人前に飯が食えるということである。いいかえれば、いかなる職業であれ、その道において他人様からお金をいただくということは、すでにプロになったということである。アマチュアではない。
(略)
甘えてはいられない。学校を出て会社や官庁にはいる。はいれば月給がもらえる。月給をもらうということは、いいかえればその道において自立したということであり、つまりはプロの仲間入りをしたということである。もはやアマチュアではない。そうとすれば、芸能界やスポーツ界の人びとと同じく、またプロとしてのきびしい自覚と自己練磨が必要となってくるはずである。
昨今さまざまな人のプロフェッショナル論が至るところで展開されています。書店に行けばそういった題名の書籍が数多く見つかります。働き方が多様化した現代において、ひとつの流れであることは間違いないでしょう。
松下幸之助が本書を執筆したのは1968年ですから、40年以上も前に、こうしたプロフェッショナル論を確立していたことになります。いかにしてプロであるべきかを考え抜いてきた証ともいえるこの言葉は、氏の偉大なる業績と考え合わせると、凄みすら感じる言葉です。
私たちにはプロとしての自覚、「他人様からお金をもらっている」という自覚が十分にあるでしょうか。仕事を任された当初は新鮮で、とにかくいいものを創り上げようと躍起になっていても、習熟してくるにつれルーティン・ワーク化し、成果も頭打ちになってしまう、という話はよくあることです。
偉大な貢献は日常にある小さな選択から始まる、とはコヴィー博士の言葉です。目の前の仕事に全力を尽くし、プロであり続けることは、我々が選択し得る最高の選択肢の1つであることに、疑いはないはずです。
(出典:『道をひらく』、松下幸之助著、PHP研究所)